ドイツには『自閉症と理解 (autismus-verstehen)』という年2回発行の雑誌があります。医学的な専門誌ではなく一般向けの啓蒙雑誌ですが、的確にツボを押さえた記事が多く、いろいろと参考になります。そこには自閉スペクトラム障害を持つ人のコミュニケーション特性に焦点を当てた記事も時々掲載されています。知見そのものは既に日本でも知られていることばかりですが、取り上げている観点は私が取り組んでいるCEFR-CVの「仲介」または「媒介」(mediation)に大きく関わることであり、今後考えていくヒントになるかもしれないので、紹介を兼ねて考えたことを記しておきます。
自閉症の診断を受けた3歳半の息子との意思疎通に苦労する母親の記事です。その人は自身がその子が生まれる前から知的障害のある青少年への教育を専門とする教師の訓練を受けており、特に自閉症スペクトラムの子供との接触を通じて、彼らとのコミュニケーションの問題を職業的な専門領域としていたという偶然に恵まれていました。ザムエルという名前の彼女の息子が発する言葉で他人が理解できる単語はほんの5つぐらいしかなく、彼は自分自身の言語らしきものを話すのですが、それでも理解している事柄は非常に限られているらしかったのです。朝食の用意をするにしても、彼が何を食べたがっているのか分からず、とにかく家にあるものを一々すべて彼の目の前に並べて見せる必要があったのです。そこでその母親は絵文字や記号、そして身振り手振りを使って段々彼と意思疎通ができるようになりました。ザムエルは視覚的な認知能力には優れていたのです。彼女は「音声言語拡張・補完コミュニケーション」(Augmentative and Alternative Communication, Unterstützte Kommunikation)の知見と経験を積んでいたこともあって、様々な意思疎通のやり方を思いついて工夫することができました。
ところがザムエルを自閉症の検査のため医者に連れて行ったところ、その医者からは、そんなことはすぐやめなさい、言葉の発達を阻害してしまいますよと言われたというのです。彼女は納得できず、医者の言葉には従いませんでした。息子とは今すぐ、その時々のコミュニケーションが必要で、言語を習得するまでじっと待つことはできないと彼女は考えたのです。幼稚園に入る頃になるとまた頭痛の種が増えてきました。彼が入るのは兄が通っている幼稚園で障害者統合のための専門家がいる通常幼稚園です。誰もザムエル独特の身振りを理解できないとするとどうやって意思疎通を図るのだろう? 彼女が試みた新しい方法は、タブレット端末を使って身振り記号を集めていくことでした。使ったのはiPadをベースにしたHE Kommunikator light II MetaTalkDEという補助ソフトです。これは状況や必要に応じていろいろなプログラムをダウンロードしてカスタマイズできます。ものの名前や場所や好きなもの、自分や他人についての概念を絵記号を通して覚えていきます。幼稚園の職員は彼女らのコミュニケーション方法を全面的に受け入れてくれたそうです。基本を覚えるとザムエルは装置の画面を示して自分が何をするのかを示すことができるようになりました。食べたいものについては身振りで意思を伝えることもできるようになりました。
そしてついに彼は少しずつ言葉を覚え始め、自分の意思を言葉で表現することができるだけでなく、年齢に応じた俗語すらも言えるようになったそうです。つまり言語コミュニケーションに困難を抱える子供に対してはひたすら音声言語だけを叩き込むのではなく、何らかの橋渡し、ないしは迂回路を通じてコミュニケーションをとることも有効であり、音声言語とそれ以外の意思疎通手段を対立的に考える必要はないということなのでしょう。
自閉症スペクトラムの人にとって特に難しいのが「雑談 (small talk)」ないしは「世間話」です。何気ない雑談は人間関係を構築する取っ掛かりであり、また潤滑油です。仕事や授業、その他何らかの目的の会合が終わった後、雑談がない様子を想像すればいいでしょう。だからコロナ禍で仕事がオンライン主体になった時、心理的な問題を抱える人が増えたのには、無目的な雑談が途絶えたことも大きな要因だった筈です。ところが自然発生的で無目的で大した内容のない、くつろいだ会話を交わすというのが自閉症者にとっては非常に困難なのです。
自閉症者も雑談を交わせるようにと訓練はしています。目を合わせる、天候のことなどその場で共有できる情報から話を始める、微笑む、相手が話題に興味を持てるかどうかよく観察する、一方的な長口舌を避ける、個人的なことにいきなり深入りしない等々、幾つかの定石パターンはあるでしょうし、それを学ぶことはできます。でも究極のところパターンは有限であるのに対し、実際の状況は無限であって、いくらパターンを組み合わせても追いつかないのです。さらに自分がどういうタイミングで話せばいいのか自閉症者は直感的に判断できないことが多いのです。必要なのは相手からの微妙な信号を読み取る能力とリアルタイムの状況判断、それに応じた柔軟な対応力という、言わば運動神経なのです。そして私も含めて定型発達者の多くはそのことに気づいていません。
しかも自閉症者の多くは表の言葉の裏にある情報、つまり行間を読むことが苦手です。だから皮肉やほのめかしがしばしば理解できません。定型発達者は言葉と同時に発せられる非言語的信号を参照しつつ、言葉の裏にある意味を直感的に理解できるので、自閉症者の困難には思いが至りません。また自閉症者が目を合わせないというのがほとんど決まり文句のように言われるので、彼らも合わせようとしますし、時にはまじまじと見つめることさえします。私の連れ合いもそうです。でも彼は相手の目を言わば図形として見ているだけで、そこから相手の感情の動きを読み取れないのです。目はいつも同じ単なる目であって、相手の感情の微妙な変化など分からないと彼は言います。細かな情報が多過ぎて処理できないのかもしれません。
人間の会話で交わされる情報というのは文字に置き換えることが可能な言葉だけではなく、刻々変わる顔の表情、ちょっとした仕草、声のリズムや調子、場合によっては持ち物や服装すらも含めて非言語的な信号に大きく依存しています。確かに文字言語も含めた音声言語は人間のコミュニケーションにとって中心的な位置を占めています。しかしそれでも音声言語は無限にあるコミュニケーション回路の一つにしか過ぎません。
ところで自閉症者が抱える困難は私も取り組んでいるCEFR-CVのMediationの問題を考えるにあたってヒントを与えてくれるように思われます。例えば彼らは音声を介した情報の処理能力が定型発達者より低く、短い時間にどんどん相手に話されるとしばしば情報過多で脳が閉じてしまったり、中にはパニックを起こす人もいるようです。時間というのはコミュニケーションでは非常に大きな要素です。それに加えて非常に限られた時間で、微妙な非言語的情報の処理を強いられてもそれは過酷で無理な仕事ということになります。そこで内容を文字にして書くとコミュニケーションが円滑にいくことが多いし、メールやSMSは有力な道具になります。連れ合いも対面で話すのは苦手で、やはり文字ベースの方がやり易いようです。
技能実習生など日本に来ている外国人労働者の中には日本語能力が高くない人も多くいます。それでも現場ではそれなりに仕事が回っているというのはどういうことでしょうか。狭い意味での音声言語・文字言語だけではなく身振り手振りやピクトグラムを介した指示など非言語的コミュニケーション回路が機能しているからこそではないでしょうか。さらに彼らが一時滞在の出稼ぎではなく、日本に定着する場合、友達を作ったり近隣に溶け込んだりする際もやはり非言語的な信号のやり取りが大きな役割を果たすはずです。日本語能力が高くなるにつれて微妙な非言語的メッセージを読み取る必要は減るどころかむしろ増えるはずです。多くの人は定型発達なのでそのことに気づかれていないだけです。非言語的コミュニケーションにはある程度文化による型の違いもあるでしょうから、成人向けの日本語教育ではこれからそうしたことも考慮に入れる必要があるでしょう。
CEFR-CVで言うところのMediation (「橋渡し」「仲介」などどう訳すか難しいところですが) を考えるにあたっては、ひとまず互いに異言語であるが、それぞれの言語内では十全な音声言語能力のある人同士のコミュニケーションを想定することが多いと思われますが、ここではそれを広く捉えてみたいと思います。つまり非言語的信号も含めての相手の言語を理解できない者同士が相互了解に達するためには互いに知覚可能な何らかの取っ掛かりが必要であり、それを介して相互に意思疎通が可能になると考えられます。その知覚可能な取っ掛かりというのがMediationだと考えられないでしょうか。もちろん相互了解に「完全」というのはありえず、常にお互いの主観的な納得度を指し示すに過ぎないわけではあるのですが。絵記号などのごく初歩的なものからもっと複雑なものまで様々な物体、音、色、匂い、手触り等々あらゆるものがMediationとして利用可能です。もちろん障害者向けの補助装置は大いに役に立ちます。上述の話の内容を文字化して伝えるというのも既にその行為そのものがMediationだと考えられます。
非言語的信号を介したコミュニケーションという視点については、当事者の直接的行為だけでなくその場にあるモノや空間をも媒介にしての意思疎通に着目したメトロリンガリズムの考え方も大いに参考になると思います。尾辻恵美氏の仕事をご覧ください。
→ コミュニケーションと自閉症者のグループ療法
Vgl. autismus-verstehen: Das Magazin von und mit Menschen im Autismu-Spektrum, 2019, H.1, S. 6-11.
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