欧州現代言語センターの国際会議とそこで感じた違和感 (その1)
欧州現代言語センター(ECML)の国際会議に出席しました。
2023年12月13ー14日にオーストリアの第二の都市グラーツで、欧州評議会(CoE)欧州現代言語センターECMLの国際会議が行われました。
ECMLは、CoEの本部(フランスのストラスブール)が出す政策を受けて、その言語政策の普及や実践と研究を行う機関です。そこではCEFRやCEFR-CVに基づいた新たな「プログラム」を4年ごとに実施していますが、今回は2020ー2023 のプログラムの成果発表報告会でした。
38か国から100人あまりの代表者が選ばれ(経済的にも招待され)、初日はグラーツ大学法学部の会場で、二日目はECMLの建物で行われました。
初日には、知事主催のとても立派な夕食会に全員招待されました。
私は、旧知のECMLの副ディレクターのお陰で、席を確保してもらうことができ、日本から一人参加することができました。(当然ながら経済的支援はありませんが。)
今回の2023年10月下旬から12月19日までの渡欧は、この会議に出席することが主たる目的の一つでした。
行って良かった、参加できて良かったと思います。
ECMLの国際会議は、主催者が少しでも多くの方々に内容を知ってほしいということで、当日のライブ配信だけでなく、編集された簡易版ですが、12月13、14日両日の会議内容の録画を公開しています。
こちらから⇨
その中には、私が3回質問したうちの2回が編集でカットされずに入っています。(Parallel session 3: Plurilingual and intercultural education)
そこでの2日間、特に2日目は、朝から晩まで、4会場でプログラムの発表が行われ、大変情報量が多かったです。
大会テーマ「言語教育におけるイノベーションを促す:変化する文脈、進化する能力」
4つの分科会テーマ:
セッション1:言語教員と学習者の能力
セッション2:言語教育の横断的側面
セッション3:複言語と異文化理解
セッション4:学校における言語:教科の言語
簡易報告として、以下の点が印象的で日本の言語教育政策の文脈では重要だと思いました。
(1)CoEでは、(複言語主義 plurilingualism は使うけれども)複文化主義 pluriculturalism はもう使わず、異文化理解/能力 intercultural understanding/ competence の方にシフトしていること。
(これは、以前聞いていた「フランスの反対で(そうなった)」のではなく「イギリスが異論を唱え」「Byram氏の主張」が重要であること、またMarisa Cavalli氏の論稿(2010, 2016など)が重要だとのことです。
ただ、CoE・EMCLの方によると、欧州評議会としては「pluricultural/ism を使ってはいけない」などと用語を取締る立場にはない、とのことでした。
(2)移民背景の子どもたちへの言語教育政策に「母語の維持発展」の側面が重視された取り組みが(ヨーロッパでも)普及しつつあること。しかしここでは、CEFRのレベルは(子供用でないため)使われていないこと。また量的・数値化するアセスメントよりも、複数の側面から総合的に子どもを見ることが大切だということ(少なくとも、今回の研究発表者によると)が主張されていました。
(3)Transversal/ity という言葉がキーワードになりつつあること。「横断的側面」というのは、言語教育を生活全般から仕事の領域まで、広く・横断的に意識を広げようとしているということで、移民への言語文化教育とも関連しているようです。(それはTranslanguaging(もっぱら教授法であると主張されていました) とは異なる文脈での考え方・理念・用語であること。)
(4)ECMLの言語教育実践の方向性としては、CLIL (内容と言語の統合学習)を利用しながら、Mediation仲介の取り組み・姿勢・考え方が、かなり滲透しているようであること。
そして、民主主義・法の精神・透明性・複言語主義・異文化理解能力…といった理念を確認し推進していこうとしているようでした。それは、次のプログラムが「2024ー2027 民主主義の根本(ハート)にある言語教育 Language Education in the Heart of Democracy」というテーマを見てもわかります。
私は、この会議を終えて帰国した年末から、今回の4つのテーマに基づく報告をまとめようと思っているのですが、気持ちがどうも向きません。
どうしてなのか、単に怠けているつもりはないのですが、「民主主義」「人権」「異文化理解能力」…といった言葉が、どうも虚しくて、綺麗で理想的な言葉が一人歩きしているのに、現実世界を見ると心が痛むことが多く、この国際会議の熱心な発表や説明が、どうも空々しく感じてしまうのです。
それでも、嬉しかったのは、後で同時通訳者の方が「参加してくれてありがとう」と声をかけてくださったことです。
驚いていると「通訳していて、やっとまともな質問が出た、と嬉しくなったから」と言ってくれたのです。まあ、確かに時間も限られた中で非常に盛り沢山の内容の発表があったので、ゆっくり立ち止まって内容や用語の質問をする人はあまりいなくて、むしろ参加者として選ばれた人たちで経済的支援も得ているようだったので「来ることができて感謝している」系の謝辞や褒め言葉が多かったという印象でした。この同時通訳者の方は、ストラスブールの欧州評議会の(専属の)英仏語の通訳者だそうで、お話ししてとても面白かったです。
(でも、国際会議で挙手するのも勇気が要りますし、ーー特に司会者が「時間がないので」と連呼しているような所ではーー後で良い質問だったと言ってもらえるのは稀有なことなので、今回はとても有り難かったです。わざわざ行って良かったと思えた瞬間の一つです。)
また気を取り直して、ノートや写真資料を見直して、今回の発表内容を記録としてまとめておきたいと思っています。自分が感じた違和感の具体的な中身についてももう少し考えてから書きたいと思います。
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