ドイツにおける外国人(移民)への言語教育について(1)
「フライブルク訪問記 2008年9月18−19日」
1:訪問地
西南ドイツのフランス国境に近い美しく豊かな町、フライブルク市にあるフライブルク教育大学(Freiburg PH) のGuido Schmitt(ギドー・シュミット) 先生にお会いした。フライブルク市の移民教育について私が多面的に理解できるように、複数の機関を訪問する便宜を図っていただいた。
フライブルク市で外国人児童のセンター校になっている小学校、 総合学校( Hauptschule: 高校の1種), キリスト教系の国際総合学校( Internationale Hauptschule im Römerhof :キリスト教カリタ派による私立高校で移民が大半−特にアフリカからの移民が多い), VHS(市民大学:外国人のためのドイツ語コース提供。市民権取得のための「ドイツ語とドイツ社会文化の試験」に対応。), 移民の生活支援のためのNGO( Südwind e.V. :South WindというNGO。移民へのドイツ語教室、就職支援も提供。), などを訪問して見学し、最後はフライブルク市当局の移民担当者にも会ってお話を伺う機会を設けていただき、大変中身の濃い充実した時間を過ごすことができた。
2:フライブルク市の移民教育の概況
人口22万人の9%を占める移民の教育に、シュミット先生は30年以上関わってこられ、様々な取り組みをしてこられたけれども、「人々(一般ドイツ人)は、変わらない。ちっとも変わらない。変わることを怖れているようだ。」という多数派ドイツ人へのあきらめにも似た批判的なコメントを耳にした。少し驚いたが、やはりそうかという確信にもなった。
究極的あるいは象徴的だったのは、私に「PISA研究を見てもそうだが、移民教育について学びたいのであれば、ドイツはあまり参考にならないと思うよ」とおっしゃったことである。「言語教育なら、スエーデン、カナダ、オーストラリアなんかのほうが参考になるのではないか。ただ、日本がドイツから学んでほしいことの一つは、ドイツのように(担当機関・部署が)ばらばらに行うのでなく、中央集権化したほうが良いと思うということだ」とも指摘された。(みんながバラバラに取り組むので、シュミット先生ご自身、例えば外国人向けのドイツ語教育を提供している機関が、市内にいくつあるのかも、把握していないということであった。)
善意の人々が移民に対して色々なサポートをしても、皆が恊働せずにばらばらでムラがあり、システム化していないということや、「教育」は州レベルの管轄なのでフライブルク市のレベルでは(特に予算関係など)ほとんど何も決められないということなど、難しい環境であることがわかった。それにもめげず、今回出合った誰もが、非常に前向きで「大変だけど、頑張っている。頑張らなくては」と、自分たちのできる範囲で自分たちのやり方で様々に取り組んでいるのは好印象ではあった。
フライブルクの町外れにロマ人(ジプシー)たちの集住地区が作られ、シュミット先生曰く「一般の市民の目には触れないようになっている。つまり、一般市民はそういう問題の存在すら忘れて暮らすことができる。そういう町づくりになっている。観光を大きな収入源とする町のあり方としての意味もある」という説明を聞いて、少なからず驚いた。
そういえば、ここ数年、私はドイツでは物乞いにつきまとわれる経験を全くしていないことに思い至った。「囲い込み政策」なんだということが理解できた。旧ユーゴからの難民や移民が何万人という数で押し寄せているのを、人道的理由で受入れているドイツだが、ドイツのパスポート申請をさせてその町にとどめ置き、(無期限で)待たせるというやり方で管理しているようである。長い人では、帰国できる見通しも何もなくもう10年も待たされているということであった。市当局者が「これからは移民・難民の高齢化が問題になる」と言っていたのが印象的でした。
そのロマ人たちの住宅地の一つへも連れて行って下さって、ソーシャルワーカーの方にお話を伺うことができた。私が連れて行ってもらったのは、交通量の多い国道がトンネルをぬけたあたりの山側の墓地の横にあって、物理的に市内からも車を運転していても見えにくいところに存在している。前述したようにそういうロケーション自体に意味があるようである。フライブルク市にはこのような移民用住宅が町に隣接して4カ所あるという。シュミット先生の奥様は、そこの子どもたち(ほとんどロマ人)が通う小学校でドイツ語を教えておられるのだとか。ご夫婦揃って、移民の人々への支援に取り組んで来られた町の有名人のようで、あちこちで敬意のこもった挨拶を受けておられた。
3:外国人児童への言語教育
移民/外国人の子どもへの言語教育・バイリンガル教育については、私が見た限りではドイツでは大ざっぱすぎて、また現場の自由裁量が大きすぎて、あまり日本での(少なくとも現在の)参考にはならないかもしれないというのが率直な感想である。つまり、公教育の現場では、子どもの言語の発達段階を丁寧に押さえていこうという緻密な活動には見えなかったのだが、それは転入してくるドイツ語非母語話者の子どもたちの数も多く、母語や年齢などの背景もあまりにも異なっていることが多くて、現場が十分に対応し切れていないといった受入れ側の対応能力の不足面もあるのだろうが、むしろ意図的に子どもの母語を伸長してバランスバイリンガルにしようとはしない政策なのかもしれないとも思った。
V小学校の訪問時には、ドイツ語非母語話者の子どもたちへの特別補習クラス(ドイツ語の授業)を見学させていただく。そこは、担当教員が「普通クラスについていけるドイツ語力がついた」と判断するまで、子どもたちはドイツ語力をつけるべく指導される。シュミット先生の説明では、そこでは「移民の子どもの母語伸長への支援を行っている」というので、期待して行った。日本人児童2名もいるので、その子たちとも休み時間に少しだが話す機会を得た。
小学校の移民用準備クラスで2人の日本人児童(8歳児)に会ったが、一人はかなり日本語を忘れてきているのに、どちらの親も「ドイツ語をしっかり勉強するように」と言うそうで、かなりストレスを感じている様子が見受けられた。バイリンガル、特にバイリテラルに育つのは本当に難しそうだと、切なくなった。
教室で「移民の子どもたちの母語に配慮する」とあるのが、少なくとも見学した授業では「これ(その時は前日に公園で拾ってきた「栗」の話題であった)は○○語で何と言うの?」という類いの語彙レベルに留まっていて、何も発展しないのには、正直がっかりしたが、それでも「異文化/外国語への他の児童の興味を喚起する」とか「移民児童のアイデンティティを確立させる」といった効果があるのかもしれないと思い直した。
ただ、それも準備クラスのみで行われることのようなので、ドイツ語が「できる」ようになって普通クラスに移されれば、そういう移民の母語に目を向けるようなこともなされないかと思うと、やはりある種「同化」教育なのだと理解できる。バイリンガル教育が目指されているのにしては、改善の余地があると思った。
何についてもやり方を段階化して「マニュアル化」して、だれがやってもある程度の水準を保とうとするアメリカ(やカナダや日本?)と違って、担当する人とその能力を信じて、担当者個人に権限を与えるというドイツのやり方の違いなのかなとは思ったが、シュミット先生の口からも何度か「現場に自由があるのが良い」という言葉が出て、「共通カリキュラム」とか細かいノウハウといったものは「能力のある教師にはすでに備わっているか、不要である」と思われていることがわかった。でも、経験の浅い教師でも、そういう能力が着くように支援・指導していくことはできるだろうと思った。
学校訪問の収穫の一つとして、見学した小学校の先生たちが作って出版したという7言語(独、英、仏、トルコ語、伊、アルバニア語、アラビア語)で書かれた絵本"How the second moon disappeared"(CDつき)を購入した。「良かったら日本語訳を作って」と言われた。これは多少参考になるかもしれない。
ただ、見学した授業担当の教員が手書きで作った「この本を使った授業展開」というレポートももらったのだが、外国人児童準備クラスの8〜12歳の授業であったということを考えると、内容の幼稚さに驚いた。「ドイツ語で(無理に)話したりするのでなく、手や体を動かして学ぶのが良い」ということで、本の挿絵を順不同にして縮小コピーしたものを「はさみを使って切って、順に並べ、好きな色で塗り、のり付けして本にする」という作業をしておしまい...となっていた。 本を売ってくれただけでなく、この報告(使用参考マニュアル)を下さったのはよかったのだが 、時間がなくて教師の真意や、この授業の結果についての考察などの話が聞けなかったのは大変残念である。
学校現場ではないが、シュミット先生は、メルカトール財団という団体の「移民の子どもを放課後に(教員系の)大学生が面倒をみよう」といった全国組織の運動(プロジェクト)も進めていたが、なかなか筋書き通りには行かず難しいようである。このプロジェクトでは大学生の経験にもなり、外国人児童のためになる素晴らしいプロジェクトを目指しているが、系統だった言語習得の支援ではなく、むしろ「外国人児童がドイツ社会にとけ込める(統合できる)よう、地域の色々な施設(博物館、映画館、図書館、動物園その他主流ドイツ人の子どもであれば、幼い頃から親に連れて行ってもらっているような場所)に連れて行ったりする」ことで社会性を身につけることをねらっているようです。単発的、散発的な印象ではありました。またせっかく参加するトルコ人の子どもグループができたのに、トルコ語を解さないドイツ人学生が担当になりあまりうまく行っていない(はっきりした理由は不明)例などを耳にしました。
色々な現場を見たり、担当者の話しを聞いたりして、断片的ながら複数の視点から、フライブルク市の取り組みが垣間見えた。問題の複雑さ、難しさが、一部なりとも理解できた。主流ドイツ人のほうも、一方で「異文化理解/統合/反人種差別主義/人道支援」を唱えて実行し、他方で 外国人/移民の力が大きくなることを恐れ、 そのせめぎ合いの中に何とかドイツ人アイデンティティを確立し、そのアイデンティティを揺るがせにしないように多大の努力をしてストレスを抱えているようにも見えた。市当局者も例えば「反人種差別主義は我々のテーマだ」と言っていたし、そのために様々な催しや取り組みを行い、パンフレットや報告書も作っているのだと見せてくれました。
今回話を聞いた VHSの先生方に「異文化に触れて自分たちも変容することを良しとしよう!均質でないのは良いことだ!」という考えがなかなか受入れられないという点においては「日本はドイツと似ていますね」と共感されてしまった。
これから日本の言語教育政策を考えていく上で、考えさせられることの多い訪問であった。現地で長く移民への教育に携わっている専門家の協力と援助のお蔭で、本当のところが多少なりとも見聞できたのは、有り難い機会であった。
ドイツにおける外国人(移民)への言語教育について(2)
「フライブルク訪問記(2):国際シンポジウム「移民の児童生徒への母語教育と人権」参加報告 2009年1月22日」
ドイツの移民児童生徒への教育
1月22日にフライブルク教育大学(FPH)で「国際シンポジウム2009 移民の児童生徒への母語教育:人権」という催しが行われ、私もBW(Baden-Würtenbergバーデン・ヴュルテンベルグ)州政府とFPHの招きを受けて、本務校の学期中なのをやりくりして参加させてもらった。
日本社会においても「移民」(ニューカマー)の子どもへの教育が喫緊の課題であり、同様の問題に長年取り組んでいるドイツの様子だけでなく、スエーデン、スイスの取り組みも知る機会になるということで、好機だと捉えて参加させてもらった。
今回の参加で得られた一番の収穫は、人的交流ができたことであろう。それぞれ働く国や場所は違っても、子ども達の健やかな成長のために熱心に取り組んでいる人々と話ができたことは、励まされるだけでなく今後の研究発展の可能性のためにもプラスになり、有り難いことである。
「2009年国際シンポジウム: “Immigrant Children, Bilingual Education and Human Rights” 【移民の子どもたちとバイリンガル教育と人権】」
[2009 International Symposion, Freiburg PH] 於:ドイツ・フライブルク市フライブルク教育大学(2009年1月22日)
招待講演1
"Chinese, Korean and Brazilian Immigrant Children in Japanese Schools" (日本の学校における中国、韓国、ブラジル移民の子どもたち)[発表は英語]
Prof. Dr. Junko MAJIMA (Osaka University)
招待講演2
“The educational problems of immigrant workers and their children in today’s Germany -- Italien, Greek and Turkish Immigrant Children in School and Occupation in Baden-Württemberg” [今日のドイツにおける移民労働者と子どもたちの教育的問題 −− バーデン・ヴュルデンベルグ州の学校と職場のイタリア人、ギリシャ人、トルコ人移民の子どもたち]
Prof. Dr. Havva Engin M. A.
University of Education Karlsruhe