2003年度大阪外国語大学FD合宿研修報告書

ミニ講義4

「在学中の諸課題」
真嶋潤子

I はじめに
 この発表は、今回の研修会の中で、ミニ講演シリーズの最後として次の分科会での意見交換のとっかかりになるよう、スタートラインの地ならし的な役割を担うものである。昨年の発表と内容的には重なることが多いが、後の議論のために参加者の共通認識を構築する道具になればと思って行った。
 「在学中の諸課題」というテーマは、広くはカリキュラムや履修の仕方をはじめ本学の教育活動の全般に及ぶのであるが、その中でここでは授業に関する(教員の)問題、すなわち最も狭義のFDとも言える「授業改善」に焦点を絞ることにした。
 「授業改善」には1)消極的改善と、2)積極的改善が考えられる。前者は、「2001年学生生活等に関するアンケート」に出てきたような学生からの「苦情」が出ないようにすることである。後者は、本学の教育方針(または戦略)として「学生中心の授業」を考えるということだと捉えたい。これは前学長により教授会で行われた「本学は(研究中心でなく)教育中心の大学である」との明言を受けて、我々教職員が本学の教育活動の改善・充実をめざしているという文脈において、「学生中心の授業」または「教育中心の大学」だと学生が感じられるような大学としての戦略的アプローチを意味している。この2つの「授業改善」について、以下に述べる。

II 消極的改善に向けて
 学生からの声に基づき、「教師のNG集:やってはいけないこと」を作ってみた。1)授業への姿勢や取り組み と2)学生に接する態度に二分する。
1)授業への姿勢や取り組み
・ 休講が多いこと、特にいわゆる「ドタキャン」すること
外大の地の利の悪さを考えると、わざわざ学校に来て「休講です」と告げられたら、だれでも怒りたくなるだろう。まじめな学生、熱心な学生ほど休講にはがっかりし腹立たしく思っているのに、当然ながら教師には遠慮して伝えることはしないものだ。「休講にすると学生が喜ぶ」などと言っている教師のことを、賢い学生たちは冷めた目でちゃんと見ている。
・ 授業時間にルーズなこと
ゆっくり来て早々と切り上げる授業を、学生は得るものが少ないとはっきり思っているようだ。さらに学生が不満に思うのは、「教師が遅刻するのは良いが、学生が遅刻するのはいけない」といったダブルスタンダードである。
・ 授業に熱意が感じられない
一生懸命勉強しようと思っている学生にとって、熱意の感じられない授業はつまらないだろう。ましてや勉学意欲の高くない学生にとっては、なおさらである。
・ 授業の準備不足 
学生の授業を見る目は確かでシビアである。教師の授業準備の手抜きは学生に見透かされていると考えた方が良い。
・ 「授業より研究が大事だ」と学生に公言してしまう
「大学は授業を受けて学ぶところ」と思ってそれなりの期待をしてきている学生は、「授業つまり学生の君たちは邪魔なんだ」という教師からのメッセージを受け取って驚き、怒り、あきれている。

2)学生に接する態度
 次のような態度は、たとえ教師は無自覚であっても、学生からの苦情の元である。これらは対学生に限ったことでなく、良好な人間関係を築こうとする場面では基本的なことであるだろうが、我々は耳の痛い学生の声にも真摯に耳を傾け、自分が何気なく取っている言動を再チェックし、改善する意志を持たねばならないだろう。
・ 横暴な態度(と学生が感じる態度)で接すること
・ 度を越した叱責(と学生が感じる叱責)
・ 学生の人格を傷つける発言
・ 学生の好き嫌いを露骨に表す
・ 気分にむらがある
・ 独善的で一方的押し付け


III  求められる授業のあり方
 それでは、どんな授業が求められているのだろうか。ここでまとめておきたい。
・ 内容面では、学生が興味関心を(始めから)持っている内容と興味関心を抱かせたい内容の両方を、方法面では興味関心をひくように提示し学生が消化できるようにすることである。内容面は、教員の専門領域に関わることなので、今回のようなFD研修での議論にはなじまないだろうが、方法については異なる領域の者でも、アイデアや工夫を互いに共有することはできる。これは2日目の分科会で深められることを期待する。
・ 十分な準備と工夫で充実した授業を目指す
・ 学生の人格や意見を尊重する
・ 授業に熱意を持つ
・ 毎回定刻に授業を行う
・ 学生の満足度をあげるために学生の声を拾い上げる
以上のようなことに配慮していきたいものである。とは言っても、言うは易し...であり、授業改善を実践するのには困難な点があることも自覚しておく必要があるだろう。次節でまとめてみる。

IV  授業改善を阻む困難点
 大学で教えている教員の一般的な泣き所とも言える点をいくつか列挙する。
1) 教員養成のトレーニングを十分受けていない。
専門の学問領域には通じていても、教育学はもとより教授法も教育実習も受けていない人も多く、内容面では優れていても、それを学生にどのように教授するかという方法面ではトレーニングを受けてきていない。
2) 教え方は我流で、基本的に「自分が習った方法」で行ってしまう。
その結果、教え方を改善しようとする工夫や意欲の欠如が見られたり、または改善意欲はあるのだが、どうして良いかわからないという状況になりうる。
3) 教師自身が学生だった時は、その科目や分野の「優等生」であり学習動機も高かったので、できない学生の問題点や心理が把握できない。
従って、教える工夫が不足していることを棚にあげて「できないのは学生が悪い」と責任転嫁してしまいがちである。
4) 「教育より研究が大事」という風潮の中で、授業改善のための同僚との話し合いもないのではないか。人によっては今回の研修会が初めての機会かもしれない。
5) 現代の社会の大学教育への要請と、現代っ子の気質・特質が捉えきれていない。年々教師である自分と学生との年齢差は拡大していくという事実の中で、学生の言動は理解しにくくなる傾向にあるかもしれない。学生の学力が下がったと言う声がよく聞かれるが実際はどうなのか、分科会で他の参加者との意見交換が楽しみなところである。

V  学生・保護者の見方
 授業を受けている学生は、本学で学びたいという動機を持ち、条件を満たして(我々の手によって)選抜されて入ってきた人たちである。その学生たち本人や主たる授業料の出資者である保護者たちは、当然ながら学生に「付加価値」をつけて社会に送り出してもらいたいと思っている。「大阪外大に来て良かったなあ」と満足できることを願っているのである。大抵は「大学は何を提供してくれるのか」「どんな力(付加価値)をつけてもらえるのか」というように「してもらう」ことを期待しているが、それを非難することはできないだろう。

VI  学生中心・教育中心ということ
 学生や保護者に納得してもらうためには、彼らの言うことを全て聞かなくてはいけないのだろうか。誤解されては困るのは、「学生中心」ということは教師が学生の言いなりになることでは決してない。学生のほうでも、教師が学生に媚びへつらうのを見たいとは思っていないはずである。
 では、どうすれば「学生中心の授業だ」「教育中心の大学だ」と言えるのか。私なりにまとめると、学生の満足度のために、1)学生のニーズを理解し(つまり聞いて考え)、2)学びを促進する(安心できる)環境で、3)最も効果的で学生に合った方法(教授法)で、学びが起こるように工夫する営みが続けられていることではないかと思う。このあたりの具体的なことが、2日目の分科会で話し合われると良いと思う。

VII  おわりに
 本研修会の主たる狙いは、以下の4点であることを最後に確認してこのミニ講演を終わりたい。
1 大阪外大で共に働く同僚を知ること
2 問題意識や危機感を共有すること
3 学生の大学への満足度を高めるための(我々自身の)動機付けを得ること
4 (教員は)授業改善のための動機付けを得ること
 他人を個人攻撃したり現状の不備不満に対する愚痴をこぼすのでなく、現在抱えている問題や不安、またその解決策、様々な工夫や成功例などを、互いの授業の質を高めていく方向で建設的に意見交換することが目的である。教員だけでなく職員も学生の満足度を高めるための努力はできるはずであり、共に本学を良くしていこうとする同僚であることを確認できたらと願うものである。
 大阪外大に対する学生の満足度は
明後日(月曜1限の授業)からでも変えられる!
我々自身が変えられる!
我々自身にしか変えられない!
という前向きな気持ちで次の分科会に臨んでいただきたい。

 補足として、私の独断で推薦図書を選定して文献リストを作成してみた。

*今回挙げた文献(の一部)はFD関連の参考図書として購入され、教職員への貸し出しが可能になった。本報告書の最終ページを参照いただきたい。それ以外の参考文献は、真嶋研究室にあるので個人的にお尋ねいただきたい。