組合文集    「ドイツ便り」               真嶋 潤子

0 出発前の喧噪をあとに
 関空発ウィーン行きのオーストリア航空の機内で、私は大きいため息をつきながらそれまでの3ヶ月間の喧噪を思い起こしていた。外大に赴任してから一番忙しい3ヶ月だった。その間は「これが終わればドイツへ行ける」と言い聞かせ、愚痴をこぼす暇もあらばこそ、あたふたと毎日を過ごしていた。
 学年末の成績処理業務、論文試問、それに恒例の入試業務。今年は入試実施委員に当たっていたのでその仕事が加わった。そこへ突然降って涌いたのが、教授会でもお騒がせした例の「卒論題目届け未提出者」の問題であった。終わってみれば、大勢の方々のお蔭で件の学生は無事卒業することができたので感謝にたえない。卒業式の直後、問題教員の我々が学長より「注意書」をいただいて、ひとまず円満に済んでよかったと胸をなで下ろしている。しかし、この問題に費やした時間と労力は、半端ではなかったと思い起こす。
 加えて3月末までという了解のもと、光栄にも「指名」を受けて加わった仕事が複数あった。忘れないうちに挙げてみると、「ファカルティ・ディベロップメント(FD)・ワーキング・グループ」と「セクハラ防止対策委員会」、そして「大学院高度専門職業人コース・ワーキング・グループ」にも名前を連ねていた。会議・他大学への出張・報告書の執筆が三つどもえとなっていたのが「FDワーキング・グループ」の仕事であった。良い勉強をさせてもらったことは確かではあるが、汗はかいた。
 重なる時は「これでもか」と言わんばかりに重なるもののようで、昨年引き受けた原稿3本もの締め切りが2月にたて込んでいて、これには往生した。しかし引き受けた仕事はとにかく全部終えないとドイツへは行けないという一心で、「やっつけ仕事」で忸怩たる思いを抱きながら「やっつけ」た。
 それやこれやで、本組合の執行委員に選出されたのに、なかなか役目を果たすことができなかった懺悔も一言加えておきたい。
 今振り返ると、時間のやりくりはしたつもりだが、家族や友人、学生達と一年の別れをゆっくり惜しむ暇はほとんどなく、最後には学生が企画してくれた食事会にどうしても行けなくなるという事態まで招いてしまった。そしてドイツに1年滞在すると言うのに、荷造りを始めたのが出発2日前であったことから、家の様子は察していただけるだろう。出発の日の早朝タクシーが来ているのに、私はまだベランダで最後の洗濯物を干しているという状況が象徴的であった。「しわ寄せ」をくらったのが洗濯物だけなら良いのだがと、ひかれる後ろ髪を振り払い、シベリア上空の雲海に目をやるのであった。

1 花の季節に到着すれど
 手荷物に何を持ってきたか、置いてきたかの自覚も定かでないまま、ともかくドイツはテュービンゲンの隣町ロッテンブルクのアパートに落ち着いたのは、予定通り3月30日の夜であった。翌日来、外に出る度に春の花が今こそとばかりに咲いている美しい季節に来られたことを嬉しく思い、出発前の喧噪との違いを噛みしめた。前日までの箕面での慌ただしさを後に、春の植物のエネルギーを感じ、華麗なさまを楽しめる心の余裕を、有り難く思った。
 今回私は以前から交流のあったテュービンゲン大学日本学研究所に1年間客員研究員として受け入れてもらい、立派な机をはじめ研究の便宜を図っていただいている。当地の日本語教育の実情と問題の把握に踏み込みたいと思っている。さらにドイツの他大学の日本語教育担当者も加えて小規模ながら共同研究を進めようとしているところである。というわけで、こちらではのんびりできるかなと淡い期待を抱いていたが、そうとばかりは言っていられない。
 そもそも私はドイツ語が不自由である。外国人用のドイツ語クラスにも通わねばならない。キャンパスでは英語が通じるとは言え、文献はドイツ語のものも読まなくては得られる情報が少なすぎる。しかし、資料が膨大である。どこから手をつけて良いものやら、書名を見ても辞書を引かねばならないのだから、気の長い話である。速読して重要なものとそうでないものを見分ける力が不足している現在、なかなかまどろっこしくて時間ばかりかかる。
 図書館の使い方も、慣れるまで時間がかかる。基本的に閉架図書なので、オンライン検索して借りたいものを自分の図書館利用者番号を使って予約しておき、たいてい翌日準備ができているので、それを借りに図書館に出向くことになる。ようやくシステムがわかって使い始めたが、読みたい本は翌日まで待たなくてはならないということを自分の文献調査のリズムに組み込んでしまわないとうまく回らない。
 また昨今便利なインターネットであり、電子メールではあるが、箕面に居ようがドイツに居ようがお構いなくメールが来る。学生からの質問、相談、日本国内に限らず「学生・研究生予備軍」からの問い合わせや依頼。若い人の将来がかかっている事柄であることも多いので、「私はいません」と言ってなおざりにするわけにも行かない。便利だが不便な代物である。

2 食べ物は美味しいけれど
 閑話休題。ここでドイツの食べ物の今日的問題を紹介したい。ドイツは昨年来、狂牛病や口蹄疫が国内でも見つかり、肉好きのドイツ人にとってはしんどいことだと思う。「ぜ〜んぜん気にしない」という私の友人(日本人)のようなつわものもいるが、我々小心者としては、肉類は一切避けて通っている。
 狂牛病は、そもそも処分した家畜の一部を「タンパク源」として、生育を促すため家畜の飼料に混ぜていた(共食いさせていた!)ところに、病気のものが混じっていたらしいという憶測を含んだ説明を聞いたが、「美味しい物を好きな時に好きなだけ、しかも安価で食べたい」という人間の飽くなき欲求に合わせるために、動物がどういう扱いを受けてきたかを反省してみても良いのではないかと思っている。「工業製品」となった食品はもういらない!と言えると良いのだが。ところでこちらに6ヶ月以上滞在した人は、日本で献血できなくなるそうである。「狂牛病で汚染された血」になるのだろう。

3 「在外投票」したいのに
 さて去る4月19日に、シュトゥットガルトの日本名誉総領事事務所(ミュンヘンの領事館から月に1回だけ出張してくる事務所)へ行った時のことである。今回の用件は、「在留届」の提出、「運転免許証の翻訳」申請、ならびに在外投票申請であった。日本では7月に衆議院総選挙があると聞いているので、海外から「清き一票」を投じようと思ったのだ。ところがである、私の選挙権は行使できないことが判明した!
 まず在外選挙人名簿というものに申請できるのは、日本の住民票の「転出届」を提出している人で、かつ在留が3ヶ月以上たった人に限るという。私はそれは知っていたので、ぬかりなく「転出届」は出してきてある。私は4月1日にRottenburgで「転入届」(居住者登録)をしてあるので、3ヶ月たった7月1日以降なら選挙人名簿に登録できると思っていた。そう言うと「でも(選挙人の)申請してから2ヶ月はかかるんですよね。どこの選挙委員会かにも多少よるんですけど」と書記氏はのたまう。その上、郵送の場合日本から投票用紙をとりよせて、その用紙が選挙の日に日本に到着しないといけないとか。そんな器用なことができるのか。私の場合選挙がたとえ8月末に行われても、間に合いそうにないということだ。
 「在留3ヶ月以上の邦人」と言うのなら、3ヶ月たったら即座に投票できるような体制をとってもらわないと、これでは実質「在留5ヶ月以上」と決まっているのに等しい。海外からの場合、小選挙区に属していないので比例区の投票しかできない。それでも、有権者としての権利と義務を行使しようとした私の希望は叶えられないことがわかった。
 国内の有権者の皆さんが、「だれになっても同じ」などと投げてしまわず、どうぞ投票してくださることを、ドイツの澄み渡った空を見上げながら希望していることを付け加えておきたい。

4 古くて新しい言語政策の問題
 ドイツでは、周知のようにユダヤ人抑圧の歴史とその後の多数の難民および外国人労働者受け入れの歴史を持っている。現に私の周りをみても、確かにトルコ人、ロシア人、アジア系の人などはっきり外国人とわかる人がかなりいる。外国人の全人口比は約8%だそうだ。この人々へのドイツ語教育ならびに彼等の母語教育がどうなっているのか、私が知りたいことはたくさんある。どうもドイツでも外国人の「統合」とそのための言語教育やアイデンティティの問題は、極めて今日的な問題らしく、地元誌にも4月23日に関連記事が載っていたし、26日の朝のテレビ番組ではオランダの取り組みを紹介していた。29日の朝にもテレビで「外国人の統合」とは何かを巡って、政治家と外国人の若者との熱い議論を中継していた。「統合Integration」と「同化Assimilation」を峻別しており、興味深い。(もっとも、私はドイツ語での議論の内容には、よくついていけないのが悲しいところである。)しかしこういう議論は他人事では済まされないし、日本社会も直面することが明らかな問題である。 
 私の今回の海外研修のもう一つの目的は、言語政策、特に外国人への言語政策について調べ、考えることである。日本語教育に携わる者の端くれとして、ドイツの議論に注目して行きたい。そしてどんな社会を作って行きたいのかというビジョンに関わる議論の上に、言語の教育とはどういうことか、だれのための、何のための言語教育かということを、真摯に考え続けなくてはならないと思っている。具体的には、図書館とインターネットでできる文献調査に加えて、外国人のためのドイツ語教育のシステムや内容を、大学のプログラムだけでなく、地元の市民学校で調査したり、今年から始まるという州政府のモデルプログラムを調べたりすることから始めようかと思っている。
 前述した日本の領事事務所へ行った際に、幼い子ども連れの日本人女性を何人も見かけた。子どもが日本語だけを話している場合と、バイリンガルに育っている場合が見受けられた。親の考えや希望によって何語で育てるかは意見の分かれるところであろうが、言葉の問題は教育的に看過できない重要事である。個人的に重要であるだけでなく、その社会や国や地域にとっても重要事であるはずだ。このあたりの考え方を、ドイツのみならずEU諸国の事情も合わせて調べてみたいのだが、限られた時間でどこまでできるか不安ではある。

 ドイツに到着して約1ヶ月。満開の花の種類が変わってきた。今はモクレン、菜の花、タンポポ、チューリップにわすれな草。それに初めて見るうす紫色のツツジが咲き始めていて当分楽しめそうである。緑がまた目に鮮やかな季節でもある。ネッカー河畔の柳の美しいこと。「外国人」として暮らすストレスと、自分の調査研究に関する不安を、一時忘れさせてくれる心和むひとときである。
 季節の移り変わりを愛でて、日々楽しく過ごすことができると良いのだが、来週からは共同研究の調査も始まるし、忙しくなりそうである。1年後に帰国した時に「1年遊んできたんでしょう!?」と言われないようにするのもなかなか骨の折れることである。