ドイツの大学における日本語教育
---等身大の学習者像を求めて---
1.
はじめに
明治以来、法学・医学をはじめ様々な分野で日本の近代化の範となったドイツ連邦共和国であるが、現代の我々が彼の国をどの程度身近に感じ、理解しているかというと心もとないというのが正直なところである。日本の大学で第2外国語としてドイツ語を履修する学生数の減少にも現れているが、一般的にドイツは「遠い国」なのではないだろうか。
『海外の日本語教育の現状(1998)』によるとドイツの日本語学習者数は世界で第10位であるが、日本語・日本研究で修士号を取得する学習者数は韓国、米国に次いで第3位という高位になっている。これは、総学習者数に占める高学歴・専門家の割合いが他の国々に比べて高いことを物語っている。ドイツの日本語学習者は、一体何を思い、どうして、またどのように日本語を学んでいるのだろうか。ドイツの大学に滞在する好機に恵まれた筆者は、是非日本語を学んでいる大学生の「等身大」の実像に近づきたいと思ったので、当地の3つの大学の日本語教員の協力を得て実地調査を行なった。その結果を報告することで、ドイツの大学における学習者の実像の一端が伝わることを願っている。
2. 先行研究
ドイツにおける日本語教育事情については、ゲーネンツ(1994、2001)のドイツ全体の包括的な報告や、ブルーメ・小島(1991)のリポート、また飯島(2001)のハイデルベルク大学に関する報告などがある。しかし、いずれも制度的な事情や文化的歴史的な事情をふまえた現状について、教える側から、つまり日本語を習得するという行為から考えると「外側」から見た報告であり、学習者自身が何を感じ、何を考えているかという「内側」からの視点ではない。ドイツのどの大学で何人の学習者がどんな教員からどんな教材で日本語を学んでいるかといった概観はそれらに譲るとして、本稿では現在日本語教育が行なわれているという約40のドイツの大学のうち、調査が容易にできた3つの大学を選び、その学習者の本音に迫ろうとした。本調査のうち、学習者の動機に関するものは真嶋(2002)に詳しい。本稿では、動機にとどまらず学習者の全体像に迫りたい。
3. 調査方法
3-1 被験者
調査地は、(a) ドイツ西南部に位置する人口約10万の大学町テュービンゲン、(b)
日本でも観光地として有名なハイデルベルク、(c) 西北部にある大商業都市デュッセルドルフの各地にある大学である。いずれの大学でも、日本語を専攻することができ、2年間(4学期)の基礎課程では日本語専攻または副専攻の学習者が学んでいる。2001年夏学期現在で、各大学の2学期目(すなわち1年目の後半)のクラスで、本調査への協力をしてくれた被験者の内訳は以下の通りである。
表1被験者内訳 (数字は人数)
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テュービンゲン大学
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ハイデルベルク大学
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デュッセルドルフ大学
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6 : 12
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4 : 13 (2は無回答)
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3 : 10
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ドイツ人:外国人
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17 : 1
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12 : 7
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11 : 2
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合計
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18
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19
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13
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3-2 調査方法
実地調査は、授業観察と教員へのインタビューからなる第一段階と、初級学習者へのアンケート調査を行なった第二段階からなり、次のような手順を踏んだ。
(1) 教員へのインタビュー/授業見学:2001年4月〜6月
(2) アンケート用紙作成(原案/改訂/翻訳):2001年4月〜6月
(3) アンケート実施:2001年6月〜7月
まず第一段階として、この3大学および別の2大学も含めた日本語の授業観察(合計10時間)および教員へのインタビュー調査(6名×40〜60分)を行なった。そこから得た情報および疑問点をもとに、アンケート調査用紙の原案を作成した。これは、質問紙に母語で回答するアンケート調査であり、質問内容によって選択式回答または自由回答を求めている。
特に筆者が興味を持ったのは、学習者間の関係と教室内インターアクション、また彼等の母語と大きく異なる体系をもつ日本語という言語の難しさおよび面白さをどう捉えているのかといったことであった。授業を観察していると学習者間の信頼関係や友人関係が垣間見られ、また教員の話から、ドイツ人の大学生というのは、少なからず授業外でもクラスメートと一緒に勉強する機会を持っているということであった。これは筆者には意外であったので、是非質問してみようと思うに至った。
質問項目は、各大学の教員とも随時相談し、内容および翻訳を推敲していった。各大学の日本語の授業で主旨説明及び用紙の配付を行なったが、得られた有効回答は表1に示したように、3校からそれぞれ(a) テュービンゲン大学18名 (b) ハイデルベルク大学19名 (c) デュッセルドルフ大学13名の、計50名であった(回収率約80%)。
本稿の目的は「等身大」のドイツの日本語学習者像を求めることであるが、そのための切り口としては大きく以下の6点に絞って報告する。
(a)ドイツ人の大学生が日本語を学び始める動機は何か?
(b)どのように日本語を学んでいるのか(方法や時間)
(c)日本語の難しさ/面白さをどう評価しているか?
(d)なぜ続けるのか(やめないのか)?
(e)日本語学習の目標は何か?
(f)JFLとしての特徴があるか?
4. 調査結果
4-1 日本語学習を始めた動機
a. 職業選択に生かす
*「道具的動機instrumental motivation」(Gardner & Lambert 1972)
b. 日本人・日本のもの(文化)との接点があった
c. (既知のものと)全くことなるものへの知的好奇心
*「統合的動機integrative motivation」の不在 à JFL の特徴
4-2 日本語学習の方法と時間
日本語学習への評価
困難点
既知の印欧語との違いの大きさ
特に文字体系・漢字 à*「日本語の魅力/面白さ」と表裏関係
時間がかかる
一度習ったものが繰り返し出て来ない(漢字、語彙)à JFLの特徴
魅力/面白さ
4-3 日本語学習をやめようとした経験
4-4日本語学習を続ける/やめない理由
克服法・やめない理由/動機
時間をかけてやる(時間のやりくりができない場合困難)
「途中で投げ出さない」「あきらめない」性格である
*「内因的動機intrinsic motivation」(自己決定理論Noels 2001)が高い
*社会的美徳?しつけ?
周りの人の励まし(友人/先生)*グループ学習
研究室の雰囲気/居心地が良い(具体的に?要調査。)
知的好奇心の充足
授業以外で日本語に接する努力(アニメ、タンデム等)
4-5日本語学習の目標
職業選択との関連
「将来の職業に生かしたい」ßà目標は「日常のコミュニケーション」
*ドイツ社会における日本/日本語の意味・価値・評価
経済的価値/需要
* 大学の「日本学講座」教授陣の求める目標とのずれ?
*
4-6 JFLとしての特徴
目標言語のインプットの少なさ/繰り返し触れることが少ない
目標言語母語話者との接触の少なさ
媒介語の多用
「統合的動機integrative motivation」の不在
5. おわりに
今後の課題
なぜ他の非印欧語(例えば「中国語」や「韓国語」)でなく「日本語」なのか。
日本語教員(および教員志望者)はここから何が学びとれるか。
ドイツ人学習者にとっての「雰囲気/居心地」のよさとは何か。
どういう「励まし」が日本語学習促進の役に立つのか。
日本語の上級学習者ではどうか。(動機の変化があるか。)
日本の現代文化(ポップカルチャー)の流入の実態把握
à日本人の「ドイツ人の日本理解」に対するステレオタイプを検証する。
* 学習者の日本語到達レベルについて!
分かったこと:1ドイツ人は「一度やり始めたことは途中で投げ出さない」2ドイツ人はグループ学習を結構好んでやる3日本語の難しさは面白さや魅力につながっている4メタ学習ストラテジーをよく使用し、自分の学習をモニターしている
ドイツ人学習者の嫌いなこと:不十分な練習や説明単調なドリル無意味に見えること会話練習の不足自分の会話能力が伸びないこと
謝辞:本稿の調査は、様々な方の協力なしにはなし得なかった。特に、テュービンゲン大学の小山洋子、ハイデルベルク大学の飯島昭治、デュッセルドルフ大学の藤田香織の諸氏は共同研究者である。また調査の実施にあたって、各大学のスタッフの皆さん(アントーニ教授、エッシュバッハ・サボー教授、マルティーナ・エビ氏、久保田浩氏、小野ようこ氏、前教授ほか多数)には大変お世話になった。そして何より、調査に快く応じてくれた学生の皆さんに感謝している。
<参考文献>
飯島昭治2001「ドイツの大学における日本語教育---ハイデルベルク大学における14年の経験から---」(未公刊)
エシュバッハ・サボー, V.2001「ドイツの日常と教育制度における日本語」(未公刊)
小塩節1993「日本語と日本文化の輸出」『月刊言語』Vol. 22. No. 1. 大修館書店pp.62-69.
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真嶋潤子2002 「ドイツの大学生における日本語学習の動機---初級学習者の意識調査---」『多文化共存時代の言語教育(3)平成13年度教育研究学内特別経費プロジェクト「異文化共存時代の外国語教育・学習(3)」研究成果報告書』大阪外国語大学pp.63-78.
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