業績一覧に戻る

同じであって同じでない
一初級クラスの2教師の授業比較一

真嶋潤子

〔キーワード〕初級, JFL, 授業分析, 教師, インプット

1 はじめに

 外国語教育の分野において、授業分析の重要性はとみに指摘されるところである(van Lier1988,1996; Hall 1995; 窪田1994)が、授業分析のためのデータ収集は、「教師の困惑や思惑など」(甲斐1997)があって行いにくく、その研究も少ない。注1)
 本稿では、海外で外国語としての日本語(JFL)の教育実践を行っている現場において、初級レベルを教えている2人の教師の授業を分析し、各教師の言語行動の特徴を検討する。授業分析に当たっては、教師の学習者へのインプットに着目したい。Krashen(1985)がインプット仮説を提唱して久しいが、言語習得においてインプットが十分条件ではないという主張(Swain1985他)はあっても、その必要性についてはゆるぎないものと考える。今回研究対象としたのは、米国州立大学の学部の外国語科目の1つである日本語プログラムの授業である。外国語教育の授業分析研究は、いくつか行われている(Sinclair &Coulthard1975; Coulthard 1985; Chaudron1988等)が、本稿では、日本語教育の分野ではまだ限られている基礎資料を提供することを目的としており、その意味で幾許かの役に立てば幸いである。

2 研究方法

2.1 研究対象
 米国南部にある州立大学の学部の日本語初級コース(JPN101)の2クラス(便宜的に「Aクラス」と「Bクラス」と呼ぶ)を対象とする。この大学のプログラムでは、日本語初級レベルの受講希望者が多い(毎年当初100名近くなる)という理由で、1クラスの定員を25名として複数の「セクション」を編成し、それぞれ別の教師が担当している。1年に4学期あるが、学期毎に学習者も教師も時間割りが変わることもあって、学期始めに既習度がそろうように、どのセクションも同一の教材とカリキュラムで進める必要がある。小テストや期末試験も同じものを使い、物理的に可能な部分は全セクションで同様にしてあるので、建て前上はどの教師の授業も「全く同じ」である。
 調査したコースは9月中旬に始まっており、本研究のためのデータを収集した1993年10月19日は、4週目の終わりであった。本稿で取り上げる授業のデータ採取に先立って行った予備調査から、「2つのセクションの大きな違いは、ドリルの際の教師の発話である」という仮説を立てた。その部分を詳しく調べるために、2クラスの授業を数時間分ずつビデオ収録し、比較することとし、本稿では、その1回分50分ずつからの資料を取り上げる。
 学習者はAクラスは男女21名、Bクラスは男女14名の学生からなる。注2) 2名を除いて日本語の初学者ばかりである。Aクラスの教師は筆者で、日本語の母語話者であり、当時日本語教育経験9年目、調査対象のある大学の大学院博士課程に在学中であった。Bクラス担当者は女性の英語母語話者で、教育経験は3年目、日本語は音声面でわずかに問題を残すものの、母語話者にほとんど遜色のない会話能力を持っている。注3) 教師Bは同大学院の博士課程を始めたばかりであった。注4)

2.2 データの収集と分析
 今回収集して分析したデータは、1)A、B2クラスの授業のビデオ録画からの文字化資料、2)Bクラスの授業観察記録ノート、3)Bクラス教師へのインタビュー資料、4)Aクラスの教案及び授業記録ノートの4種類からなる。これらのデータから、量的分析の手法も利用しながら質的(Goetz & LeCompte 1984)に2クラスを比較、対照した。

3 分析結果
 本節では、教師A、Bの指導する「口頭練習」の部分を発話回数の違いで量的に比較し、次に日本語と英語に分けて、教師のインプットの特徴とその意図を提示していく。さらに、学習者がうまく返答できない場合の教師の対処の仕方に注目して、教師の言語行動を対比する。

3.1授業の展開
 本稿で取り上げる日本語の授業では、コピュラ「です」の過去形「でした」を定着させることを目標としている。1時間(50分)の授業の展開は、A、Bいずれのクラスでも図1のような流れであり、実質的に口頭練習に費やせる時間は限られている。授業の流れは、図1に示したように、大きく6つの部分からなっている。このうち最初の部分「口頭練習@ クラス全体」をさらに細かく分けると、次節の表1の「学習活動」の欄が示すようになる。

口頭練習@ クラス全体
↓   「過去形」に着目したドリル    <A:Bクラス=10分:15分>


口頭練習A 小グループ(日本人学生参加)
↓   「過去形」を使った応答練習           <12:10>


口頭練習B クラス全体
↓   「過去形」の復習                 <5:2>


新出漢字の導入                     <8:13>



異文化理解項目:「日本人のしぐさ」について導入      <10:6>



宿題の指示等                      <3:3>

図1 授業の流れ(< >内は、時間配分を示す)

3.2 発話回数
 口頭練習@は、クラスA、Bのいずれでも教師主導で行われ、だれが話すかの話者交替(Turn Talking)は整然となされている。即ち、教師の指示なく学習者が発話することはない。(Tは教師、Sは学習者を示す。)

例1) <クラスA>
82 T: じゃ、WEさん、ロンドンは雨でしたか?
83 S: はい、ロンドンは雨でした。
84 T: はい、いいですね。
85   SIさん、くつは田中さんのでしたか。
86 S: あ...いいえ、田中さんの...じゃありませんでした。
87 T: [うなずく]いいですね。
88   じゃ、LIさん、シャツは田中さんのでしたか?
89 S: はい、シャツは田中さんのでした。
90 T: いいですね。

例2) <クラスB>
319 T: [のけぞって]もう一度。この...日本の...ジャケットは...一万円です。
320 S: この日本のジャケットは...一万円でした。
321 T: いいですね。そうですね。
322   え一、...デューエットさんは...元気...じゃ...ありません。
323   デューエットさんは、元気...じゃ...ありません。
324   ...KIさん。
325 S: デューエットさんは...元気...じゃ...ありませんでした。
326 T: [うなずいて]いいですね。
327   [再度うなずいて]元気じゃ...ありませんでした。
328   いいですね。

このような口頭練習を、発話回数に着目してまとめたものが表1である。注5)

表1 口頭練習@の展開中の発話回数

 表1で、発話回数の合計を見ると、教師Aは87回、教師Bは64回と差があるが、特に「言い換え練習@」と「言い換え練習A」の部分を見ると、教師Aは73回(18+55)、教師Bは26回(3+23)となり、AはBの2.8倍の発話回数である。また同じ部分の学習者の発話回数を見ると、さらに差は大きく、クラスAでは、個人指名19人と全体発話35回(17+18)であるが、Bではそれぞれ8人と2回である。しかも図1に示したように、口頭練習@の所要時間はA、Bクラスでそれぞれ10分、15分であることを考えるとクラスBの発話回数の少なさが顕著である。次にこの発話量の差異の実態に迫るべく、目標言語である日本語の発話と学習者の母語である英語の発話に分けて、教師発話の特徴をみる。

3.3 教師発話の特徴

3.3.1 日本語の発話
 A、Bどちらの教師にも見られる発話特徴は、「既習語彙のみの使用」と「単文のみの使用」という点であり、初級レベルを意識して学習者の理解を容易にするために行っていると考えられる。これは、もちろん教師の日常の発話とは異なっており教師発話(TeacherTalk)と呼べるものである(Chaudron1988; 窪田前掲書)。これ以外に教師Aに見られたのは「発話速度が速い」ことと、「頻繁に繰り返しをする」ということである。特に、授業の目標としていた過去形文末表現「でした」は、学習者が答えたあと単独で強調してインプットする形で、計11回発話されている。教師Aは、次々とキューを出してドリルをしているが、ドリルには絵カード(Flash Card)を利用している。絵カードを見せることで、学習者の注目を集めて意味の確認も行いながら、練習を進めている。学習者は、こういったドリルのやり方に慣れており、何が求められているのかをはっきり把握して自信をもって発話している様子が声の大きさと反応の速さからうかがえる。一方教師Bの特徴は、「発話速度が遅い」「発話ポーズが頻繁で長い」「発音が誇張される」ということが指摘できる。教師BはAと異なり、絵カードを使用せず、手には教案を書いた紙を持って、それを見ながらキューを出している。注6)  学習者は聞いただけの文を指示に従って変形しなくてはならないが、多くの学習者は教科書の該当ぺ一ジをあけて、それに目をやりながら教師の発話を聞いている。しかし、教師の発話文は教科書の例文そのままではないので、学習者が見ている箇所はまちまちである。視覚的補助(絵カード)がないため、学習者は耳をすまして集中して聞いているように見受けられる。しかし、いくら集中してもやはり教師の発話を一度で聞き取り、変形させて言い換えるのは初級の学習者にとっては容易でない練習のようで、学習者が教師に「もう一度言ってください」と繰り返しを要求する場面が、一度ならずあった。次の例は、学習者が不完全ながら繰り返し要求をしているものである(349行目)。ちなみに、Aクラスの方では、学習者からの繰り返し要求は調査した授業の中では一度も観察されなかった。

例3)
344 T: いいですね。
345   このブラウスは[と自分のシャツをひっぱる]80ドル...じゃありません。.[学生を指す。]
346 S: その...だいがく(↑)
347 T: も...もういちど。
348   このブラウスは...80ドル...じゃありません。
349 S: もういちど、ください。
350 T: このブラウスは...80ドル...じゃありません。
351 S: このブラウスの...ブラウスは...じゃありませんでした。

 教師Bの発話中のポーズは345、348、350行目にも明らかなように、頻繁である。また教師Bの発音は、ポーズとの関連もあるが、特に助詞を強調
している点が、ティーチャートークの典型であろう。教師Bによると、こういった話し方は「初級の学生に理解させるため」には「必要」だと考えてのことである。次に談話の特徴としては、まず教師の発話、それに対する学習者の応答、それへの教師の評価・フィードバックというT-S-Tからなる「IRF(Initiation-Response-Feedback)」がいずれのクラスでも中心的であった。これは、先行研究とも一致している(Sinclaire & Coulthard 1975 他)。
 IRFは、「時として学習者を引きつける魅力に欠けたり、学習者の動機を高められない」と言われている(van Lier 1996, p.151)が、この2クラスでは、学習者が興味を失っていたりやる気をなくしているようには観察されなかった。しかし、van Lier(前掲書)の次のくだりは示唆的である。「IRFも、学習者の答えが簡単で予測可能なように教師が質問すれば、時には学習者の(授業への)貢献を容易にすることもあるかもしれない(p.151 訳と強調は筆者)」。本稿の2クラスで見ると、教師Aは学習者が「簡単に答えられる」「予測可能な」キューを与える工夫をしていると言える。即ち、絵カードを使って次に発話する語彙を予測させていること、ドリルの展開を単純なものから複雑なものへ発展させていること、指名する時に全体で口慣らしをしてから個人を当てることなどが指摘できる。
 一方教師Bの方は、絵カードなしで文脈や場面のない文を耳で聞いて変形させるので、学習者は「聞いて理解する」「文末を変形させる」「文を記憶する」「正しい発音で言う」というようないくつもの関門を独力で通過しなくてはならない。また、教師がどんな文を発するかは全く「予測不可能」である。従って、クラスAの学習者に比べると負担はかなり大きいと推測できる。

3.3.2英語の発話
 日本国内で第二言語としての日本語(JSL)教育を行う現場とは異なり、JFLの特に成人対象の授業では時間の節約も考慮して、学習者の母語(L1)を使用することが多い。本稿でとりあげている2クラスでも英語を使用している。
 教師Aは、特に入門期には口慣らしをすることが重要であると考え、そのための時間を最大限に確保することを念頭に置いて、時間の節約のためにのみ必要に応じて英語を使うようにしている。Aクラスの学習者は原則的にL1を使用していない。
 Bクラスでは、教師の母語でもある英語の使用は頻繁で、学習者も英語使用をためらわずに、311行目のように答えられないときは、英語で発話している。教師もそれをとがめていない。

例4)
309 T: [うなずく。]田中さんは大阪の学生です。
310   .......[2秒間Qさん。
311 S: Could you repeat?
312 T: はい。田中さんは大阪の学生です。

 教師Bは、情意フィルター(affective filter)を下げると共に、L1で確実に目標言語を理解させることを狙って英語を使っている。また、英語は教師自身が母語話者として自信のある言語であることも、使用に抵抗感が少ないことと関係しているようである。
 次に、教師A、Bが実際にどれだけ英語を使用したかを表2に示す。この表が示すのは、まず口頭練習@中の各教師の総発話回数に占める英語の発話数の割合である。教師Aは17.2%、教師Bは59.4%である。単純計算でこれだけでも、教師Bは2回に1度は英語が含まれているということになるが、厳密には、英語の発話回数だけを見ても、実質的な発話の全体量はつかめないので、一発話の長さを平均語数で見ることにする。

表2 教師の英語使用

 表2の一発話平均語数(「英語総語数」を「英語使用発話数」で割ったもの)が示すように、教師Bは英語による発話回数が多いだけでなく、一回に発話する英語文も長い(平均15.6語から成る)ことが分かる。英語発話の場合の平均語数が、教師Bは教師Aの約2.5倍あることは、注目に値するだろう。最後に学習者の反応に関わる教師の言語行動に焦点を当てる。

3.4 学習者が返答に窮した時の教師の対応
 どちらのクラスでも、いつも教師の期待や意図の通りに学習者が反応するわけではない。学習者が間違えたり、答えにつまってしまったりした時の教師の反応・対応というものは、授業の進行並びに学習ということに、非常に重要な意味を持つと考えられるが、A、Bクラスでは、特徴的な違いが見受けられた。まずAクラスでは、個人指名して学習者がつまった場合、原則的にその場で返答に窮している学習者を深く追求していない。次の例に見られるように、クラス全体への練習問題として投げかけている。

例5)
98 T: じゃ、FAさん、ズボンは3000円でしたか?[絵カードにはズボンの絵の横に「5000円」の札がつけてある。]
99 S: ...ズ...
100 T: ズボンは?
101 S: ズボンは...
102 T: 3000円...
103 S: 3000円でしたか?
104 T: でしたか?...じゃありませんでした。
105 S: [左手を振って、額を押さえる。]
106 T: じゃ、皆さん。
107   3000円じゃありませんでした。

 教師Aは105行目で「答えられない」意思表示をした学習者は放置して、クラス全体の練習に振り替えた。このように、答えに窮した学習者を「深追いしない」ことと、期待した答えを「クラスの全体練習に戻す」という方法が特徴的である。これによって、クラス全体の意気が消沈することを避け、また学習者個人の自尊心が必要以上に傷つくことを避けようとしている。
 一方Bクラスでの教師の対応は、原則的に指名された個人がきちんと言えるまで、繰り返させるようにしている。また次の例のように、学習者の答えが2度目にもあやふやだった場合には、それを再度言わせるのには教師に抵抗があったようで、後方の学生が聞こえたかどうかを確認しただけで、次に進んでいる。教師Bは、途中でつまった学習者には必ず「もう一度」と再挑戦させている。教師Bによると、これによって「学習者の練習になるし、教師自身も学習者が言えたことを確認することができる」と説明している。

例6)
329 T: え一、スミスさんの...ノートは...3ドル...じゃありません。
330   ...YOさん。
331 S: もういちど言ってください。
332 T: はい、スミスさんの...ノートは...3ドル...じゃありません。
333 S: スミスさんのノートは...
334 T: [指で3を示す]
335 S: 3ドル...じゃありません...でした。
336 T: いいですね。、もう一度。
337 S: スミスさんの...[わすれて手招きしている]...ノートは...
338 T: [また指で3を示す]
339 S: 3ドル...じゃ...ありませんでした。
340 T: Could you hear him in the back?[後ろの学生うなずく]
341   0K

 この例のように、Bクラスでは、一人の学習者とのやりとりで、丁寧に確認を入れるため時間がかかってしまうことが頻発した。その間教室の指名された一人以外は、黙って聞いていることになる。同時に、内容的にはそこで停滞してしまうため、Bクラスのテンポが遅いという印象がぬぐえない。
 教師Bによると、このように時間がかかってしまうことは「仕方がない」ことで、大切なのは、学習者が「きちんと言えるのを待つ」ことだと考えている。また、教師Bはこの教師主導の口頭練習のあとには、小グループに分かれて「Native Infomant」と呼んでいる日本人も加わった練習があるので、発話練習はそちらでできると考えている。一方教師Aは、そのグループ練習を活性化させるためにも、その前に十分教師主導で練習しておく必要があると考えている。特にこのプログラムのように海外でJFLとして教えている現場では、教室以外で日本語に触れる機会はほとんど期待できないことから、教室内での目標言語接触量すなわちインプットが極めて重要であると考えている。
 いずれの教師も、学習者の日本語習得に善かれと考えて授業を展開しており、その言語行動にはそれぞれ積極的な理由が与えられているが、同じカリキュラムで同じ教材を使用していても、このようにその言語行動にはかなりの相違点が認められた。その原因の一つとして「授業は口頭練習の唯一とも言える場」と考えるAと、「(学習者)本人の努力」を強調するBの、授業に対する理念の違いがあるのではないかと考えられる。その違いを看過し、また放置していたことがこのような差異を生んだのではないかという仮説に思い至る。その検証はここではできないが、このように「同じ」授業でありながら「同じでない」状況が日常的に積み重ねられる時、学習者の日本語習得に与える影響は極めて大きいことが思いやられる。

4 終わりに
 本稿では、同じカリキュラムで運営されている初級同レベルの2つのセクションの授業を観察し、分析した。各教師は、知識、経験、個性などが異な
るが、いずれも学習者の日本語能力を伸ばすために良いと判断した方法で、授業を展開している。しかし、そのインプットの違いは大きく、「同じ授業」とは呼び難い。
 教育現場では、学習者の人数によって、本稿で見たような複数のセクションを設けて「同じ授業」を提供しているところは多く見受けられるが、「同じ」とはどういうことなのであろうか。ともすれば閉鎖的空間になりがちな授業の実情を思う時、物理的条件が「同じ」であっても、教師がそして指導理念が異なれば、本稿で示したような「違い」のあり方があることを理解し、直視しておくことは、意味があると考える。
 本稿のデータについては、教師の言語行動に焦点を当てたにしても限られたものであることは否めない。注7) また、言語習得には、インプット以外にもインターアクションやアウトプットが重要であると言われている(窪田前掲書)。今後は学習者の意識や到達度とも合わせて、より複眼的に教師の言語行動や、その背景にある理念を調べることが必要であろう。さらに教師自身のアクションリサーチによる授業分析のデータを増やし、授業の改善、教師の自己啓発、教師養成のための基礎研究を重ねていくことが望まれる。


1 日本語教育の分野でも教室研究、エスノグラフィックな研究の必要性が指摘されている(新井1995; 村岡1998)。
2 学生数に不均衡があるのは、この時Aクラスは4時間目、Bクラスは1時間目に開講されており、4時間目を希望する学生が多かったためであると考えられる。
3 ACTFLのOPIの被験者となった際に、「Superior超級」という判定を受けている。
4 日本語初級コース(JPN101)のさらに詳しい概要については、真嶋(1992)を参照されたい。
5 ここでは話者となって発言した回数(Turnをとった回数)を「発話回数」とする。なお、Ssはクラス全体でのコーラス発話を示す。
6 絵カードを使用しない理由について、教師Bは「教案を手に持たないと落ち着かず授業ができない」ため、片手では絵カードが操作できないからだと答えている。
7 調査者が調査対象の1人になっていることの限界は無視できないが、調査時期と本稿執筆時の時間経過が、多少なりともデータとの心理的距離を広げることに貢献していると考えている。

参考文献
新井真美1995「教室研究の展望と課題: 教室における第二言語習得過程の解明に向けて」『言語文化と日本語教育』9:304-314, お茶の水女子大学日本言語文化学研究会.
Benedek, D., Majima,J., Yoshida,Y, et al.1994 First Step in Japanese. Unpublished teaching material. The University of Georgia.
Chaudron, C. 1988 Second Language Classrooms: Research on teaching and learning. Cambridge University Press.
Coulthard, M. 1985 An Introduction to Discourse Analysis, 2nd ed. Longman. [マルコム・クールダード 吉村昭市他訳 1999 『談話分析を学ぶ人のために』世界思想社]
Gass,S. M. and Madden, C, G. (eds.) 1985 Input in Second Language Acquisition. Cambridge, MA: Newbury House.
Goetz, J. P. and LeCompte, M. D. 1984 Ethnography and Qualitative Design in Educational Research. San Diego, CA: Academic Press, Inc.
Hall, Joan K. 1995 "Aw, man, where you goin'?": Classroom Interaction and the Development of L2 Interactional Competence. Issues in Applied Linguistics, 6, 37-62.
甲斐睦朗 1997 「授業の談話分析の方法」『日本語学』3: 13-20.
Krashen, S. 1985 The Input Hypothesis. London: Longman.
窪田三喜夫 1994 「クラスルーム・リサーチと第二言語習得」『第二言語習得研究に基づく最新の英語教育』 小池生夫監修 SLA研究会編 大修館書店 179-198.
真嶋潤子 1992 「かなと漢字の教育におけるCAIの実践例一ジョージア大学の場合一」『日本語教育』78: 141-153.
村岡英裕 1998 「学習の他者管理と自己管理一教師研究・教室研究から見えてくるもの一」『特別研究「日本語総合シラバスの構築と教材開発指針の作成」 会議要録 公開討論会(1) 「日本語教育のための研究課題」』国立国語研究所日本語教育教材開発室.
Sinclair, J M. and Coulthard, M. 1975 Towards an Analysis of Discourse. Oxford University Press.
Swain, M. 1985 Communicative Competence: Some roles of comprehensible input and comprehensible output in its development. in Gass, S. M. and Madden, C. G. (eds.), 235-253.
van Lier, Leo 1988 The Classroom and the Language Learner: Ethnography and second-language classroom research. London: Longman.
       1996 Interaction in the Language Curriculum: Awareness, autonomy & authenticity. London: Longman.

  業績一覧に戻る