1 問題の所在
 日本語教師になることを高校生の時に志して以来、思えば私は女性が多数を占める中で過ごすことが多かった。現在携わっている本学の日本語教育学科目の学部受講生を見ると8割以上が女性である。男子学生が一人もいない授業もあり、赴任当初は自分が女子大に就職したかと錯覚した程である。ことほど左様に日本語教師やその志望者には女性が多い。
 女性が多いことについて私は善し悪しを判断するつもりはない。日本語教師の男女比は半々であるべきだと思っているわけでもない。ただ、不思議なのである。周りに尋ねても「さあ」とか「女性に向いているんじゃない?」などと、今風に言えば「テキトー」な答えが返ってくることがほとんどで、そもそも日本語教師の男女比なんて問題にすること自体意味がないと言う意見さえある。
 しかし、ある職業において性別バランスを著しく欠いている場合、何らかの理由があるはずである。誰かがこの状況を説明してくれるのをずっと待っていたが、一向に書いてくれる人がない。しびれをきらして、自分でやってやろうとまとめたのが本稿である。私の見るところ、男女比の偏りは日本社会の特徴を映し出しており、そこに生きる私たちが時代の制約を無意識のうちにも受けていることが理解できる。
 日本語教師には海外で活躍する人達も多いが、本稿では国内の状況に絞って話を進めたい。
 
2 日本語教師の数
 最近の調査(文化庁国語課2000 http://www.bunka.go.jp/1/2/)によると国内の日本語学習者は「大学等の研究科・学部等」と「一般の日本語教育機関・施設」を合わせて83086人と報告されている。その学習者を、「専任」2323人、「非常勤・兼任」7202人、「ボランティア等」10188人という計19693人の教員が教えている。ここで特徴的なのは、専任の日本語教師が少なく(11.7%)、非常勤・兼任(36.6%)とボランティア等(51.7%)が多いこと、特にボランティア等に半分以上支えられているという現実である。残念ながらこの文化庁の調査結果の男女別内訳は明らかにできないということなので、別の資料で見てみよう。
 『月刊日本語』(アルク出版1999 6月号)によると、調査した日本語教師(ボランティアではない)50人のうち83%が女性であった。また「日本語教育学会」という業界一の学会員の構成(2000年9月)を見ると、3884人の全会員数のうち男性26%女性74%であるという。これらからわかるのは、日本語教育に携わっている人には確かに女性が多いという事実である。さらに、データは古いが山田泉(「国内の日本語教育の現状と課題」『日本語教育』66号 日本語教育学会1988)によると、1987年度において4843人の日本語教師のうち専任は29.4%で70.6%が非常勤・兼任講師である。それぞれのカテゴリーで女性が占める割合は専任では55%、非常勤・兼任講師では77%であった。後述するが男性の占める割合が専任ではそれ以外よりも多い。

3 日本語教師をとりまく状況
3-1 日本語教師の雇用状況
 日本語学習者の数は大きく見ると増加傾向にあるが、実は不安定である。それには潜在的日本語学習者として日本にやってくる外国人の数が、1)日本経済の動向(好景気には外国人を惹きつけるので学習者も増加する傾向)と、2)日本政府の施策(入国管理法の改正や在留資格「就学」の入国審査が厳しくなるなど)、また3)送り出し国の政策といった、日本語教育の現場からはコントロールしきれない要因の影響を受けるということが関わっている。
 日本語学習者の数を見ると、中国・韓国等アジアの出身者が大多数を占めており、物価高の日本で高額の授業料を徴収することには無理がある。従って日本語学校の多くは経営が困難であり、日本語教師の待遇面も一般に芳しくないのが実情である。バブル経済のはじけた後90年代半ばには、不法就労事件が多く摘発されたこともあり日本語学校の倒産が相次いだことは記憶に新しい。
 一方で日系人には就労ビザを取得しやすくするなどの措置(入管法改正1990)により、南米からの就労者が急増した地域も多いが、地元のボランティアの働きに多くを頼っているという現状がある。
 阪神淡路大震災を契機に「ボランティア」が注目されたこともあり、本来プロの専門家としての日本語教師に担ってほしい部分も、ボランティアに頼ってしまうという図式がないとは言えない。日本語教育を必要とする現場では、多額の費用は出せないという状況があるが、ボランティアだけで運営することは、一方でいわば日本語教師の職場を奪うことにもなりかねない。日本語教育を利潤を追求しない住民サービスまたは職業訓練の一部として取り組むなど予算を含めて公的な施策が必要とされている。

3-2 「日本語教師」の社会的地位
 私が日本語教師を目指し始めた20年余り前には「日本語教師」という言葉すら一般的ではなかったと思う。もちろん一部の日本研究者や宣教師等へのものは限られた範囲で行われてはいたが、地方都市の一高校生がアクセスできる情報ではなかった。日本語教師の社会的認知度を上げる目的も担った、文部省認定「日本語教育能力検定試験」が始められたのも12年前である。従って日本語教師という職業は、広く社会的認知を受けてからの日がまだ浅いと言える。
 同時に、日本語教師という職業の専門性に関しては、「日本人ならだれでも日本語が教えられる」という安易な思いこみに基づく誤解がはびこっており、未だに払拭されたとは言い難い。特に海外では人材確保が難しく、たまたま在住していた日本人だということで日本語教育に携わるというケースが、減ってはきているがあるようである。プロの日本語教師に求められていることの中心は、「多様な学習者のニーズに合わせて、的確に効率良く必要な日本語能力を身につけさせること」である。学習者の多くは、日本語学習にかけられる時間もお金も非常に限られている。そんな中で最大の効果を上げる日本語教育の担い手としての教師は、母語として身につけた日本語能力があるということだけでは全く不十分であり、極めて複雑かつ高度な専門家としての技量・能力が求められているのである。
 現在の日本及び世界の情勢を見ていると、日本国内では特に今後「国際化」「グローバル化」の路線上に、プロの専門家としての日本語教師の需要が高まるのではないかと予測される。外国人をもっと受け入れるべきかどうかの議論は本稿の目的とするところではないが、国民の間でもっと活発に議論がなされるべきだとは思っている。もし国民が外国人との共生を目指すという選択をするならば、そのためには生活支援を含め地域の隣人としてボランティアが果たす役割と、プロの日本語教師の果たす役割とはうまく補完的関係に置かれるべきものではないだろうか。

4 日本語教師に女性が多いわけ
 本稿ではわかりやすいように、「男性」「主婦」「キャリア志向の女性」の三つに分けて、それぞれが「日本語教師に女性が多いわけ」に加担していることを考察する。

4-1 男性が少ないわけ
 前節で見たように、日本語教師の待遇が一般に良くないという状況で、職業選択の基準になる条件として「生活給」が得られるかどうかということが挙げられる。非常勤だけでは苦しくとも、専任の日本語教師であれば、まず十分自活できると思われる。そんな場合でも、「結婚に当たって妻を養えないから」日本語教師をやめるという有能な同僚男性を目の当りにして大変残念に思った経験がある。
 ここにあるのは、日本語教師にのみ内在する問題ではなく、「男は妻子を養わねばならぬ」という考えのもと、自分のやりたいこと、好きなことを投げ打つ男性の姿である。つまり「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担から自由でない人間である。この考え方は日本の近現代史を見ると戦前の富国強兵、戦後の経済大国への道を驀進するのに、功を奏したようである。そして、「妻を養おう」とする男性から見れば、職業としての日本語教師を経済的理由から敬遠する傾向があることが指摘できよう。
 前述したように非常勤よりも専任の女性占有率が低いことは、全体としては少ない男性も専任には多いということである。専任になって生活給が得られた場合には、男性も日本語教師を続ける場合が多いと推測することができる。
 多くの男性は「男は仕事」という考えを無条件で受け入れ、また結婚に際して「仕事を続けるんですか」とことさら尋ねられることも皆無であろう。彼らにとって就職の仕方はどうなっているのか男子学生の就職活動を見てみると、「何関係の会社か」「どの会社に入るか」の問題であって「自分の技能をどこで生かせるか」ではないことが普通である。この姿勢は、日本語教師という専門職に就きたい人の姿勢とはかなり異なる。
 さらに、日本語教師が接するのは、日本語学習者という主に外国人(中国帰国者などの場合は国籍は日本人であるが)という社会的少数者・マイノリティである。「一流企業」や中央志向の多くの男性にとっては、そういった「周辺的」な人々に関わる仕事は魅力的に映らないかもしれないという推測もできる。社会的認知度が低いこととも相まっているであろう。

4-2 「主婦」がボランティアや非常勤を指向するわけ
 80年代後半から90年代前半の「日本語教師ブーム」の頃ほどではないが、昨今も巷の「日本語教師養成講座」には主婦の姿が多く見受けられる。結婚や出産のために仕事をやめた「専業主婦」が再就職を希望する理由を調査したものが興味深い(労働省女性局編『平成11年度女性労働白書 働く女性の実情』財団法人21世紀職業財団 2000)が、それによると彼女らは生活費のために働く必要があるのではなく、多くは社会参加・自己充足・やり甲斐を求めていることである。家庭に閉じこもるのでなく、社会化し自分の能力を生かしたいと考えている。
 ところが、彼女らは専任として働くことを希望するのではない。どの程度の収入を希望するかの調査(前掲書)では、103万円以下が断然多い。これは年収が103万円を越えると、夫の「配偶者特別控除」という税金の主婦優遇制度が受けられなくなることが理由である。日本政府は「男は仕事、女は家庭」という男女役割分担を促進するために、このような収入のない主婦のあり方を奨励してきたのである。「主婦の優遇制度」を放棄したくない女性達は、その範囲内で働こうとする。ここにおいて、高給を支払えない日本語学校と年収を押さえたい主婦の利害が見事に合致することになる。
 似たような状況は他にもあるようだ。2000年春から介護保険法が施行されたこともあって、最近あるテレビ番組で「介護ヘルパー」についてのレポートを見る機会があった。「介護ヘルパー」という新しい職種について、「忍耐力と細かい気配りの要る仕事」であり、しかも「生活給」は出にくいという待遇の悪さが相まって女性従事者が多いという指摘があった。日本語教師と相通じるものがあると感じたのは気のせいではない。このように非常勤やボランティアに主婦が非常に多いという状況を作り出すことになる。
4-3 大卒「キャリア志向」の女性が多いわけ

 年収を低く押さえようとする主婦ばかりが日本語教師なのではない。日本語教師を専門職として目指す高学歴の女性は大変多い。現職者にも多い。彼女らが日本語教師を選ぶ理由は何であるか。聞き取り調査(学生2名現職者8名計10名)をもとに、以下に説明を試みる。
 まず積極的な理由として、1)自分の興味・関心・適性が語学・教育にある 2)「外国人と接する仕事」に魅力を感じる 3)国際的な仕事であり海外で働くチャンスもあることに魅力を感じる といったものが挙げられる。
 方向を変えて見れば 1)旧弊な男社会(男性中心の企業や業界)でないところに活路を見出したい 2)「男性の補助」的仕事への忌避 が挙げられる。2)は言い替えれば「自分を生かせる」こと「実力主義」であることなど日本語教師が個人プレーの側面が大きいことと関連している。
 これらの理由は女性の生き方において塩原勉(「日本の社会と社会学 解説」高坂健次・厚東洋輔編『講座社会学1 理論と方法』東京大学出版会1998)の言う「私事化(privatization)の原理」の強まりと一致している。すなわち「多様化した生活文化やライフスタイルを自在に選択しかつ家族制度からの解放をはかる」という意味で、専門職の日本語教師を目指し、海外へも臆さず出かけて行き、キャリアアップを図ろうとする、比較的晩婚または非婚型の女性が増えていると思われる。昨今、前出の日本語教育学会の研究発表大会を見ても、発表者は圧倒的に高学歴の女性が多い。非常に心強いことであるが、彼女らの情熱・研鑽・成果・能力を発揮できるような、経済的基盤のあるポストをもっと確保・整備できればと願う次第である。
 
5 これからの日本語教育界のために
 少子高齢化を乗り切る方策の一つとして外国人をもっと受け入れる多文化共生を目指すという選択を、もし国民がするのであれば、前述したように日本語教師を質・量ともに拡充する必要があるだろう。その際「自分は男だから待遇の良くない日本語教師は避ける」ということなく、男女を問わず有能な教師が活躍できるような受け皿を整備する必要があると考える。さらに広い視野から言えば、有能な人材が性別を問わずに活躍できるようにすべきは、一人日本語教育だけの問題でなく、日本社会全体の課題でもあることを指摘しておきたい。